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2018年12月27日
一行6名でインフラの視察を目的に2018年7月24日(火)~25日(水)の一泊二日の予定で神津島を訪問しました。一行6名は以下の通りです。
私達一行は、東京竹芝桟橋を朝7時35分発のジェット船で出航し、10時40分に神津島に到着しました。宿泊先である民宿「だいじんこ」で一旦休憩をした後、村役場で当時の浜川謙夫村長を初めとする職員の歓迎を受け、村長室で対談。村長から「チューク州のウエノ島は神津島より人口は多いが、島の大きさがほぼ同じで、とても近い存在に感じます。今回の視察で島内のインフラをどのように活用しているのかを参考にしてください。」と挨拶がありました。その後、東京電力発電所・漁協・診療所・図書館・学校・観光協会・赤崎遊歩道と視察し、宿で入浴後、村長主催の夕食会に招かれました。
夕食会は「山長」で催され、視察団のナカヤマ氏・ロバート氏から「漁協で見た金目鯛の大きさを自動分別する装置の効率の良さに驚きました。また、出荷の際に、大量な氷を使う事に関して、その氷が料金にも含まれることを知り、遠方への流通が可能になることも理解できました。私たちの国では、氷は付録であり、料金が掛かるという習慣は有りません。そのため、島内での流通が殆どとなります。」「道路の整備は素晴らしいとは思いますが、ウエノ島ではでこぼこした夜道を走っている車を見ると、まっすぐ走っているのは酔っ払い、でこぼこを避けて蛇行して走っているのが真面な運転。」といったジョーク交じりの挨拶があり、参加者の笑いを誘っていました。村長からは「チューク州では腎臓病になったとき、透析治療のために設備の整った病院のある島に渡ると聞きました。そしてその移動の時がお別れの時との考えがあると聞きました。しかし、透析をするために家族と別れることは良くありません。家族と一緒に透析治療をしてください。そのためには、ダイアライザーを利用する方法がありますから、是非若い皆さんの力で導入できるよう進めてください」と感動的な施策提案の話がありました。早朝からの移動と、休みないスケジュールでの視察疲れは有りましたが、神津島ならではの海産物を食べ、地元の焼酎盛若を飲みながら夕食会が終始楽しく終わることができました。
視察二日目は、郷土資料館・下水道施設・農地・空港を視察し、三浦湾展望台・三浦漁港と回り、弊社が行っている島内で間伐した桑の枝から作る和紙の紙漉き体験を行いました。その後ジュリアの十字架、船場、多幸湧水を見学し、最後に再び村役場に戻り意見交換会を行いとても充実した視察ができたとの喜びの声を聞くことができました。
15時30分発のジェット船に乗る時には、横断幕を持った役場職員が見送りに来て、別れを惜しみましたが、今回の視察を通して少しでもチューク州で生かせる事に繋がればと祈っております。
因みに、チューク州からの視察第二弾が9月に来日し、神津島の海洋資源・学校教育視察を計画しておりましたが、残念ながら台風の影響で神津島視察は実現できませんでした。
今回の視察を通し、私自身一般財団法人 国際協力推進協会(APIC)の佐藤常務様には大変お世話になり、また素晴らしい経験をさせていただきました。ありがとうございました。今後神津島とチューク州が新しい関係に発展することを期待しております。
ミクロネシアには4つの州(ヤップ州、チューク州、ポンペイ州、コスラエ州)があり、チューク州はその中で最も人口の多い州です。位置は西太平洋カロリン諸島内で、グアム島から1,000km南東の島々で、長径64kmのサンゴ礁に囲まれた火山島郡です。主産業は観光業で、特にチューク礁湖(ラグーン)に沈んでいる艦船を巡るレックダイビングの名所として知られています。
チューク州のウエノ島は周囲が18kmで、神津島の22kmとほぼ同じくらいの大きさといえ、どことなく島の形も似ている気がします。
チューク州ウエノ島 | 東京都神津島 |
■日本との関わり
チューク諸島は248の島から構成されており、かつてはトラック諸島と呼ばれていました。第一次世界大戦の戦勝国として国際連盟からドイツ領ミクロネシアの統治権が認められたことで、学校や病院が整備された夏島(現在のトノアス島またはデュブロン島)には日本人が1,706人と現地民1,263人が住んでいましたが、大東亜戦争で夏島は破壊され、現在は春島(現在のウエノ島またはモエン島)に州都が移り、教育や公共福祉が栄える中心となっています。
ミクロネシアの初代大統領は日系人のトシオ・ナカヤマ(中山利雄)氏で、1979年5月11日~1987年5月11日まで就任しており、その間の1986年にはミクロネシア連邦として独立をしてました。2011年に発生した東日本大震災の際には、日系四世のマニー・モリ第七代大統領から多大な義援金を贈って頂いています。
このように、1890年に始まった南島商会(現南洋貿易株式会社)によるミクロネシアとの交易以来、日本とミクロネシアとはとても密接な関係であるといえます。